A little OKI will guide you-Yamashiro spot
Yamashiro is said to have been in the Oki Islands.
It seems that the mountain castle was used for surveillance and defense using the natural terrain of the mountain, unlike the architectural image of the castle that can still be seen today.
, Kokufu Ojo, Katsuyama Castle is an Oki mountain castle built by Mr. Sasaki.
Especially in Miyata Castle facing the sea and Kokufu O Castle, maritime surveillance around Saigo Bay,
It is believed that it was a strategic mountain castle that could be immediately rowed into the sea in an emergency.
On the other hand, Katsuyama Castle is located in the Kishi area inland, and you can see Kokufu Ojo by climbing the mountaintop.
宮田城
くんだじょう
鎌倉時代に築城。
守護代となった隠岐佐々木氏が整備し、居城したと伝えられています。
城の四方は崖が取り巻く攻めにくい地形。
北側はかつて西郷港内湾に面し、敵が侵入し難く、物資の積み込みなどに好都合。
有事にすぐに海に漕ぎ出せる戦略的な山城だったと考えられています。
室町時代、守護代は尼子一族へと変わり、隠岐國の領主となった尼子一族は本拠地を国府尾城に移しましたが、宮田城は引き続き、城塞としての機能を持っていたとされています。
こうのおじょう
南は西郷湾に面した交通の要塞、東側・北側は八尾川に囲まれる天然の要害。
隠岐佐々木氏はここに国府尾城(甲ノ尾城)を作り、清政の時に移城、本拠地としたそうです。
国府尾城の頂上部からは宮田城の主郭が望め、狼煙などを使った通信網が形成されていたと言われています。
清政は隠岐島後を統一後、隠岐全土を支配。
以後、豊清、為清に伝えたとされていますが、隠岐佐々木氏内に後継者争い・内部抗争が起こり、為清の子少補(しょううの)五郎を最後に、国府尾城は毛利氏の手に落ちたそうです。
勝山城
かつやまじょう
島後の中心部に築城された勝山城。
その山頂から本城である国府尾城を捉え、五箇あるいは武良地区への睨みを効かせる役割も持っていたと言われています。
天文元年(1532)の島後合戦時、尼子氏の援助で隠岐を平定した佐々木為清。
その恩に報いる為、隠岐佐々木氏は勝山城を築城、尼子勝久の居城として提供したそうです。
尼子氏の家臣であり、山陰地方の武将、鹿介として知られる山中幸盛は、月山富田城(がっさんとだじょう・安来市)の落城以来、劣勢になった尼子氏の再興を画策し、体制を立て直すため、勝久と但馬から隠岐に渡ったとされています。
勝山城で力を蓄え、体制を立て直した勝久らは永禄12年(1569)に隠岐を出発。
島根半島の千酌(ちくみ)に上陸し、毛利氏と対決したが敗れたと伝えられています。